2016年2月13日土曜日

キューバ旅行振り返り(4)~ハバナとアグスティン・バリオス

キューバで私が是非とも見たかったものの一つがハバナ大聖堂です。
私の好きなギタリストであり、天才作曲家、アグスティン・バリオスの代表作の一つ、「大聖堂」(La Catedral)の第1楽章、前奏曲(Preludio)は、バリオスがこのハバナ大聖堂を訪れて、着想したものと言われているからです。

<ハバナ大聖堂(La Catedral de la Virgen María de la Concepción) 2016年1月25日> 

ハバナ大聖堂の正式名は「サン・クリストバル大聖堂」で、1704年の建立。波打つようなファザードが特徴的でキューバ・バロック建築の傑作と称されています。その前のカテドラル広場には17世紀の石畳が残り、周囲の建物も18世紀前半に建てられたコロニアルなものです。


<ハバナ大聖堂の内部、祭壇 2016年1月25日>

アグスティン・バリオス(Agustin Barrios)は1885年にパラグアイで生れ、中南米各地を転々と移動して暮らし、1944年に59歳でエルサルバドルにて生涯を終えました。

 
Cesar Amaroウルグアイ生れ、1948~2012)演奏の "La Catedral" by Agustin Barrios>

バリオスの代表作、「大聖堂」(La Catedral)は現在は「Preludio(Saudade)」(前奏曲/郷愁)、「Andante Religioso」(宗教的なアンダンテ)、「Allegro Solemne」(荘重なアレグロ)の三つの楽章から成り、演奏されています。しかし、当初は「Andante Religioso」、「Allegro Solemne」の二つの楽章のみで演奏されていました。
これら二つの楽章は、バリオスが1921年にウルグアイの首都、モンテビデオのサンホセ大聖堂(the Cathedral of San Jose)に入った時の経験に基づいて書かれたものです。「宗教的アンダンテ」の広く、地平に広がるような和音は大聖堂でバッハの曲を演奏していたオルガニストの印象を表現し、続く「荘重なアレグロ」は大聖堂の静かな、霊的な雰囲気を後にして、現実世界の喧噪が渦巻く街路に出て行く様を、間断なく続く16音符のアルペジオで表現しています。

Barrios in San Salvador, 1941 by Poran111

その16年後に、バリオスは1937年10月4日にハイチからハバナに到着し、1938年3月下旬までキューバに滞在しました(その後多分、メキシコに向かった)。そして、1938年1月28日にハバナにて、彼の傑作の一つとなる、「Saudade(郷愁)」という副題の付いた「Preludio(前奏曲)」を書きました。このPreludioはバリオスがハバナ大聖堂に行き、着想したものと言われます。音楽評論家、濱田滋郎氏はこのPreludioを「人生の変転を重ね、旅を重ね、切ない郷愁の想いを託した『前奏曲』だ」と評しています(鈴木大介CD『大聖堂 バリオス作品集3』のライナーノートによる)。このPreludioは1年半後にエルサルバドルにて、バリオス自身によって「大聖堂」に第1楽章として追加されました。

バリオスは生涯、各国、各地を転々として暮らしていましたが、一応はカトリック信者だったバリオス(生後21日後にカトリックの幼児洗礼を受けている)は、滞在していた各地で教会または大聖堂に時々は行っていたものと私は推察します(記録がないので、どの程度の頻度で教会に行っていたかは分かりません)。バリオスが各地の教会や大聖堂から音楽へのインスピレーションや着想を得たのは自然なことだったと思われます。

<モロ要塞から見た運河と、向こうの旧市街、更にその左奥がハバナ港 2016年1月25日>

ところで、バリオスはこの時以前にもハバナに一度、約2ヶ月間滞在しています。それはバリオスが最初で最後のヨーロッパ旅行をした時でした。1934年7月にバリオスと事実上の妻・グロリアは、彼の支援者、Salomoni(駐メキシコ・パラグアイ大使)家の人びとと共にヨーロッパに向かうために、メキシコのベラクルス(Veracruz)から船に乗り、ハバナ港で下船しました。約2ヶ月のハバナ滞在中にバリオスが行った演奏会では彼は芸術的に大成功を収めたとの事です。そして、1934年9月には彼らは蒸気船Orinoco号に乗って、ハバナからヨーロッパに向け出航しました。

<1934年7月ハバナ港に上陸する直前。Salomoni家の人々と共に。左から4人目がバリオス。右から5人目がグロリアと思われる。>

ベルギーのブリュッセルに到着した後、ドイツ、ポルトガル、スペイン、イギリスなどに滞在した後、バリオス夫婦はヨーロッパから戻りました。しかし、バリオスのこのただ一回のヨーロッパ旅行は、当時ヨーロッパ・クラシックギター界の最大の権威であった、もう一人の天才ギタリスト、アンドレス・セゴビア(1893~1987)の妨害もあり、不本意なものとして終わったようです。


*参考文献*
①Richard D. Stober 著 『Six Silver Moonbeams ~ The Life and Times of Agustin Barrios Mangore』(1992)
②月刊「現代ギター」1981年12月号の特集記事『幻の巨匠バリオス』/現代ギター社
③鈴木大介CD『大聖堂 バリオス作品集3』のライナーノートの濱田滋郎氏による解説

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