2016年4月18日月曜日

小諸城址・懐古園

小諸城址・懐古園の桜が見頃になっていると聞いたので、15日(金)に家内と車で見に出掛けました。
懐古園に行くのは初めてでした。蓼科の我が家からは高速道路は使わず、女神湖の横を抜け、県道40号を通って、休憩を入れて1時間15分で着きました。意外と近かったです。

<小諸城三の門 2016年4月15日>

小諸城に入ると、まず三の門があります。三の門は元和元年(1615年)仙石忠政が創建、寛保2年(1742年)の千曲川大洪水によって流失し、明和2年(1765年)牧野康満の代に再建されたものです(国重要文化財)。三の門に掲げられた扁額は徳川宗家16代当主・徳川家達の筆によるものだそうです。

<南丸跡の桜 2016年4月15日10:40>

小諸城の起源は、平安時代から鎌倉時代にかけて「源平盛衰記」や「平家物語」に登場する小室太郎光兼(木曽義仲の武将)が、現城址の東側に築いた館(宇頭坂城)に始まります。16世紀に入って、甲斐・武田信玄の手中に落ち、山本勘助らにより城郭が整備され、小諸城の原型が出来上がりました。その後、豊臣秀吉天下統一のとき小諸城主となった仙石秀久により完成されました。城下町より低い位置に城を築いた「穴城」は全国でも珍しい城で「日本百名城」に入っています。

<本丸跡にある懐古神社 2016年4月15日10:48>

明治の廃藩置県により小諸城は廃城処分となり、荒廃しつつありました。しかし、その後、本丸跡に「懐古神社」を祀り(上の写真)、花木を植えて公園にし、「懐古園」と名付けられました。

<小諸城天守台から見る馬場の桜① 2016年4月15日10:55>

小諸城中央には天守台があります。そこにあった天守閣は寛永3年(1626年)の落雷で焼失したと言われています。

<天守台から見る馬場の桜② 2016年4月15日10:56>

天守台の横には馬場があり、たくさんの桜が咲き誇っていました。

<天守台と馬場の桜 2016年4月15日10:57>

天守台の上の天守閣があった場所からは、桜の向こうに、いまだ白い雪を冠った北アルプスを見ることができました(下の写真)。

<桜と北アルプス/天守台から見る 2016年4月15日11:04>

馬場から見る桜と天守台の古い石垣は風情があります。

<馬場の桜と天守台の石垣 2016年4月15日11:18>

その後、お堀に架かる酔月橋を渡って(下の写真)、小山敬三美術館を見に行きました。

<お堀に架かる酔月橋 2016年4月15日11:24>

小山敬三美術館は高台にあり、その横からは千曲川の清流と遠くに北アルプスも眺められました。

<小山敬三美術館横から見る千曲川 2016年4月15日12:32>

帰りに、再び天守台の下を通りました。

<小諸城天守台の石垣 2016年4月15日12:48>

自然の川原石を用いた野面積みの石垣は苔むして、400年前のまま当時の姿で残されています。

<徳川秀忠公憩石 2016年4月15日13:02>

三の門を出ると、その横には満開の桜で覆われた「憩石」(いこいいし)がありました。
慶長5年(1600年)徳川秀忠は関ケ原合戦出陣途中、真田氏(上田城主)攻略のために小諸城を本陣としました。その在陣中に秀忠公が腰を下ろした石と伝えられているものです。

懐古園を見た後は、近くの蕎麦店「丁子庵」でお蕎麦を食べて帰ってきました。

天気も良く、満開の見事な桜を見られて、家内も私も満足でした。蓼科から小諸は意外と近いので、紅葉の時など、また見に行こうと思います。

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