2017年9月28日木曜日

第36回「クラシックギター弾き回し練習会」の開催/レポート


9月23日(土)に蓼科高原のホール「ベルクハウスG-CLEFにて第36回「クラシックギター弾き回し練習会」を開催しましたが、そのレポート記事を「クラシックギター弾き回し練習会のブログ」に掲載しました。

こちらをご覧ください。→http://hikimawashi.blogspot.jp/2017/09/blog-post_28.html


2017年9月24日日曜日

ランディの「還暦」

今日はランディの9歳の誕生日です。
Dog Age Calculator(ここ→「犬年齢計算機」)によれば、ボーダーコリーの9歳は人間の60歳に当たるそうです。ですから、今日でランディは「還暦」です。

<ベランダのランディ 2017年9月24日13:30>

ついこの間までは年寄り二人と若者(ランディ)一人の家族だと思っていましたが、あっという間に年寄り3人の家族になってしまいました。

<フリスビー遊びをするランディ@家のアプローチ 9月24日08:51>

ランディはフリスビー遊びが好きで、若い時には、こちらがフリスビーを投げるのをやめるまでは何回でもフリスビー遊びをやり続けていました。しかし、最近は2回か3回、フリスビーをキャッチして持って帰ることをしたら、もう怠けてしまいます。ランディも歳をとったのでしょう。

<ベランダでのんびり寝そべるランディ 9月24日13:35>

犬はもともと寝ている時間が長いのですが、このところ更に寝ている時間が長くなっている感じがします。
ランディとの散歩は我々夫婦の貴重な運動で、夫婦の健康維持に役立っていますし、ランディにはいつまでも元気でいてほしいです。

<我が家の庭の色付いた木 2017年9月24日13:34>

ところで、9月下旬になって、我が家の庭の木にも色付くものが出てきました。高原はこれから少しずつ紅葉が進んでいきます。

2017年9月22日金曜日

映画『伝説のギタリスト「マンゴレ」愛と芸術の果てに』の上映会を観る

9月12日(火)は中央高速バスに乗って、東京に出掛けて行き、日暮里サニーホールでの映画『伝説のギタリスト「マンゴレ」愛と芸術の果てに』上映会を観ました。
この映画は、パラグァイ生まれのギタリストで天才作曲家、アグスティン・バリオス、通称「マンゴレ」(グアラニー族の伝説的酋長の名前)の伝記映画です。

<アグスティン・バリオスを演じる俳優ダミアン・アルカサール>

クラシックギター音楽界においてアグスティン・バリオス(1885年~1944年)は、「近代ギター音楽の父」と称されるフランシスコ・タレガ1852年1909年と並ぶ(ある部分ではタレガを上回る)、天才作曲家だと私は考えています。
しかし、モーツァルトやショパンと違って、クラシックギターのバリオスと言っても、一般の人で知っている人は非常に少ないので、この映画を普通の映画館で上映するのは難しいのでしょう。そこで、一般の小さなホールを借りて、小さな移動型スクリーンを使っての上映会となりました。その上、東京都内での上映は当面は8月11日(金・祝)とこの日の2回のみ。バリオス・ファンの私としてはこれを見逃すわけにはいかず、この日、蓼科から東京まで出掛けて行きました。

Barrios in Rosario, Argentina, 1923 by Poran111
<バリオス/1923年(38歳頃)アルゼンチンのRosarioにて>

上映に先立ち、チリの名ギタリスト、アレクシス・バジェホス氏によりスクリーンの前で、バリオス作曲の「ビダリータ」、「ドン・ペレス・フレイレ」、「フリア・フロリダ」、3曲のギター演奏が行われました。

<映画・伝説のギタリスト「マンゴレ」・予告編>

そして、映画のエンドロールには、再びバジェホス氏が登場し、バリオス作曲「パラグアイ舞曲」が演奏され、それに合わせて、主催者のギタリスト吉住和宏氏(この映画の字幕翻訳を行った)によりバリオス自作詩の朗読が行われました。
<映画のエンドロールにてバジェホス氏の演奏と吉住和宏氏の詩の朗読>

上映前後のバジェホス氏の演奏はバリオスを彷彿させる、美しい演奏でした。また、吉住和宏氏によるバリオス自作詩の朗読は映画の余韻を更に深めるもので、私にとっては東京まで出掛けて行った価値が十分にある、楽しいイベントでした。

さて、この映画はアグスティン・バリオスの伝記映画ですが、予想していた以上のフィクションが含まれています。1時間30分ほどの映画の中でストーリーを面白く組み立てるためには、伝記映画と言えどもフィクションが入ってくるのは止むを得ないのでしょう。

ところで、私は数年前から、謎めいた天才、アグスティン・バリオスの生涯や人間そのものに興味を持ち、時間のある時に、バリオスの英語での唯一(多分)の伝記本、Richard D. Stover 著Six Silver Moonbeams: The Life and Times of Agustin Barrios Mangoré(1992年)を読んだり、また、ネット上で入手できるバリオスに関する記事や小論などを調べて、目を通していました。この映画を見た私の友人、知人の中にもこの映画のフィクションと現実の堺がどこなのか、興味を持つ人がいました。そこで、バリオス・ファンの私としてはこの映画におけるフィクションと事実の違いについて、一言、言及したくなりました。

特に気になったバリオスの女性関係について、映画におけるフィクションと事実について以下に簡単に触れてみます。

(1)バリオスの最初の妻、「イサベル・ヴィジャルバ」
<映画での最初の妻「イサベル・ヴィジャルバ」(女優 ラリ・ゴンザレス)>

映画では、パラグァイで生まれたバリオスはパラグァイを出国する前に最初の恋人、イサベル・ヴィジャルバと事実上の結婚をし(婚姻届けは出していない)、二人の男の子をもうけます。

事実はどうだったでしょうか? 私が以下、「事実」として記載する内容は上記のRichard D. Stover 著の伝記本Six Silver Moonbeams: The Life and Times of Agustin Barrios Mangoré(1992年)の内容によります。Stover はこの本を書くにあたり、数年にわたって中南米各地を歩き、資料を集め、証言を得て、書いていますから、少なくともフィクションは含まれないと考えられます。

Stoverによれば、バリオスは母国、パラグアイを1910年(25歳頃)に最初に離れる前に、既にある女性にVirgilioという名前の息子を生ませています。その後、1926年(バリオス41歳頃)には同じくパラグアイで別の女性にNenequitaという名前の娘を生ませています。いずれの女性ともバリオスは結婚はしていません。(『Six Silver Moonbeams』の197頁による)

従って、バリオスがパラグァイにおいて「イサベル・ヴィジャルバ」に二人の男の子を生ませたというのはフィクションだと言えます。

Isabel, pencil drawing by Barrios in1908 by Poran111
<1908年6月にバリオスが鉛筆で描いたIsabelの肖像画>

Stover の伝記本にもイサベルと言う名前の女性が取り上げられています。Stover よれば、バリオスは1908年6月3日(バリオス23歳の時)に「Isabel」という名の女性の肖像画を鉛筆で書いています。そして、その絵には「To my beautiful friend Isabel.  ~A.Barrios」と記されています(上の写真)。このIsabelがどのような女性かについてはこの伝記本には記述がなく、分かりません。Isabelがバリオスの初恋の女性だと唱える人もいますが、その信憑性は定かではありません。

(注:この記事の内容についての変更を下に追記してあります。)

(2)バリオスの晩年の事実上の妻、「グロリア・シルヴァ」
<映画での晩年の妻「グロリア・シルヴァ」(女優 アパレシーダ・ペトロウキー)>

また、映画ではバリオスの晩年の事実上の妻、「グロリア・シルヴァ」が登場します(上の写真)。映画では、グロリア・シルヴァはダンサーで、バリオスはグロリアとブラジルのキャバレーで出会います。その後、グロリアはバリオスと行動を共にし、演奏活動のために中南米各地を転々とするバリオスを癒やし、最期まで一緒でした。

Gloria and Agustin in Bogota, Dec. 1932 by Poran111
<グロリアとアグスティン/1932年12月Bogotaにて>

事実はどうでしょうか? 上述の伝記本によれば、バリオスには晩年、事実上の妻となり、生涯行動を共にしたグロリア・セバン(Gloria Seban)と言う女性がいました(上の写真)。
バリオスはグロリア・セバンとは1929年(バリオス44歳頃)に知り合いましたが、その頃にはバリオスの長年の奔放な女性遍歴はようやく影をひそめていたそうです。バリオスはこのGloria Sebanとも正式(法的)には結婚していませんが、グロリアは伴侶となり、1944年8月にバリオスがエルサルバドルにて59歳で心不全で客死するまで生涯行動を共にしました。

しかし、グロリアがダンサーだったというのはフィクションだと考えられます。

Stover によれば、グロリアは教養はあまりなかったが、実際的で、料理がとても上手な、家庭的な女性でした。音楽に詳しかったわけでもなく、芸術家でもありませんでした。伝記本にはダンサーだったという記述は全くありません。彼女はバリオスを愛し、バリオスの日々の身の回りの世話を良くしたそうです。

しかしながら、これらのフィクションが含まれていても、この映画の価値を引き下げるものではないと私は考えます。ともかく、クラシック・ギタリストの伝記映画が作られたということだけでも画期的です。バリオス・ファンにとっては、これは必見の映画だと私は思います。


<ベルタ・ロハス演奏、バリオス作曲ワルツ第3番>

なお、この映画でのギター曲はパラグァイ出身の世界的女流ギタリスト、ベルタ・ロハス(1966年~)が全て演奏しています。この映画の中に流れるベルタ・ロハスの演奏はとても美しく、効果的でした。中でも、バリオス作曲「ワルツ第3番」はBGMのように繰り返し流れ、私には印象に残りました。



************************

≪2017年10月24日追記 ~上の記事についての変更≫

上記の記事を書いて直ぐに、ギタリスト吉住和宏氏からの情報で、上述のアグスティン・バリオス・マンゴレの伝記本、Richard D. Stover著「Six Silber Moonbeams – The Life & Times of Agustin Barrios Mangore 」(1992年版~第1版)について、改訂版「 Paraguay – Edition 2012」が出版されていることを知りました。私は早速ネットで調べて、この改訂版を入手しました。

著者Richard Stoverは1992年第1版を出版後も調査を続け、パラグァイのバリオス関係組織、Barrios Mangore Project Centerなどと協力し、その後約20年間の調査で分かった事実やデータ、写真を基に増補・改定した2012年版をパラグァイにて出版したものでした。この「Paraguay – Edition 2012」(全433頁)は「1992年版~第1版」(全271頁)の内容を含み、大幅に増補され、1992年版の内容も一部修正されています。特にバリオスの女性関係、家族関係については多くの新しい事実が分かり、「The Barrios Family」という一つの章を追加して、より詳しく記載されています。


「Six Silber Moonbeams – The Life & Times of Agustin Barrios Mangore 」(Paraguay – Edition 2012)表紙>

それによりますと、
まず、(1)バリオスの最初の妻、「イサベル・ヴィジャルバ」については、
結論から述べますと、映画のストーリー、「バリオスは最初の恋人、イサベル・ヴィジャルバと事実上の結婚をし、二人の男の子をもうけた」というのは事実に即しています。
上述の「 Paraguay – Edition 2012」によれば、バリオスはイサベル・ヴィジャルバ(Isabel Villalba)に二人の男の子をアスンシオンで産ませています。長男、Pedro Virgilio(19081974)と次男、Reinaldo(1910?~?)です。
イサベル・ヴィジャルバ ~ Paraguay – Edition 2012」の289頁より>

また、バリオスは、次にパラグァイに帰国した1925年にIsabel Valienteと恋愛関係に陥り、アスンシオンで一人の女の子を産ませました(いずれの女性もファーストネームがIsabelなのは偶然の一致)。その子の名はAda Ramona Elena Valiente(19261984)で、長じてプロ・ハープ奏者となり、“Nenequita” Caceres の名で知られ、長年フランスで住んでいました。
Isabel Valiente ~ Paraguay – Edition 2012」の291頁より>

また、上に掲載の「1908年6月にバリオスが鉛筆で描いたIsabelの肖像画」については、伝記本「Six Silber Moonbeams 」(1992年版~第1版)ではそれ以上の詳しい記載がなく、具体的に誰を描いたものか不明でした。しかし、この Paraguay – Edition 2012」では、バリオスが描いたこの鉛筆画はイサベル・ヴィジャルバの肖像画だとはっきり述べられています。
映画の中でも、イサベル・ヴィジャルバに、バリオスが自分で描いた彼女の肖像画をプレゼントする場面が出てきます。

また、(2)バリオスの晩年の事実上の妻、「グロリア・シルヴァ」については、
伝記本「Six Silber Moonbeams 」(1992年版~第1版)では、その名を「グロリア・セバン(Gloria Seban)」と記載されていました。しかし、 Paraguay – Edition 2012」では、その名を「グロリア・シルヴァ(Gloria Silva)」(1903年~1965年)と記載し、通称(pseudonym)がグロリア・セバン(Gloria Seban)」だと記載されています(「 Paraguay – Edition 2012」の148頁)。
その後の調査で、本名が「グロリア・シルヴァ」で「セバン」は通称だという事が判明したと考えられます。
Gloria Seban in 1929 by Poran111
<グロリア・シルヴァ(通称グロリア・セバン) ~Edition 1992(第1版)より>


いずれにしましても、アグスティン・バリオスという人物は、新しい事実が分かれば分かるほど、また次の新しい興味、好奇心が湧いてくる、不思議な魅力のある人物だと私には思えます。

2017年9月15日金曜日

ドライ食用ほおずき

9月も半ばになって、私の畑の食用ほおずきは本格的な収穫期に入ってきました。

<私の畑の食用ほおずきの畝 2017年9月15日10:02>

食用ほおずきは下の写真のようにガク(袋)が黄色からオレンジ色になると甘みが出てきて、採り頃です。

 <採り頃になった食用ほおずき 2017年9月15日09:57>

今日は籠半分くらい収穫しました(下の写真)。

<収穫した食用ほおずき 2017年9月15日10:32>

例年、我が家では食用ほおずきは大部分をジャムにして、保存食にしています。
今年はフードドライヤー(食品乾燥機)を購入しましたので、まず、ドライ食用ほおずきを作っています。

 <水洗いした食用ほおずきの実 2017年9月7日09:16>

ガク(袋)を取って、水洗いした食用ほおずきを半分に切ります。

 <半分に切った食用ほおずきをトレイに並べる 9月7日09:43>

それをフードドライヤーのトレイに並べて、温度を68度に設定して、乾燥を開始します。

 <食用ほおずきの乾燥開始 2017年9月7日09:44>

途中、トレイの上下の位置を何回か交換して、合計18時間乾燥させました。
これで、かなり水分が抜けてドライになりました。
食用ほおずきの旨みが凝縮されて、このまま食べても美味しいです。しかし、ちょっと酸味が強くなります。そこで、今はこれにグラニュー糖を少しまぶして食べます。すると、更に食べやすく美味しくなります。

<出来上がったドライ食用ほおずき 9月8日07:49>

また、特に長く保存する必要がない時には、乾燥時間をこの時間の半分程度、6~8時間にすると、もっとソフトのセミドライで、味自体はこの方がナチュラルで我が家の好みです。

食用ほおずきは生で食べても良いし、冷凍してもシャーベットのように食べられるし、いつものようにジャムにして保存したり、今度のようにセミドライ(あるいはドライ)も美味しいし、食べ方の楽しみが広がりました。

<私の畑の脇に自生するコスモス 2017年9月15日11:14>

ところで、話は違いますが、今、蓼科高原では誰かが植えたものや、あるいは自生のコスモスががあちこちで満開です。私の畑、めぐみファームでも、畑の脇に毎年自生するコスモスがきれいな花を咲かせています。

2017年9月11日月曜日

「どっこいしょ喫茶」でボランティア・ギター演奏

茅野駅前の商業ビル「ベルビア」の1階には「どっこいしょ広場」という休憩スペースがありますが、あるボランティアグループによって毎月8日の午後にここで「どっこいしょ喫茶」が開かれていて、手作り菓子とお茶が100円で提供されています。
私のギター仲間のyayoyayoさんがこの「どっこいしょ喫茶」のイベントとしてボランティアでギター演奏することになり、私にも声を掛けていただきました。


<どっこいしょ広場@ベルビア1階 2017年9月8日12:55>

ボランティア演奏会は9月8日(金)午後で、メインの演奏者はyayoyayoさんで、私はサブとしての演奏です。

<ボランティア演奏開始前にyayoyayoさんの挨拶 9月8日13:20>

「どっこいしょ喫茶」は午後1時から始まり、ボランティア演奏会は1時20分からyayoyayoさんの挨拶で始まりました。

この日のプログラムは次の通りです。

《「ギターの響き」(ギター愛好家グループ)による演奏会》

♬yayoyayoさんとPoranの二重奏♬
アニーローリー   J・スコット/小胎剛編
白い恋人たち    F・レイ/ 小胎剛編

♬ギターソロ♬
ラグリマ      F・タレガ (Poran)
禁じられた遊び   A・ルビーラ (Poran)
ひまわり      H・マンシーニ/江部賢一編 (Poran)
美女と野獣     A・メンケン/江部賢一編
浜辺の歌      成田為三
椰子の実      大中寅二/毛塚功一編
涙そうそう     ビギン/小胎剛編
ハナミズキ     マシコタツロウ/竹内永和編
悲しい酒      古賀政男 (Poran)
千曲川       猪俣公章/小関佳宏編
湯の町エレジー   古賀政男/田蔦道生編
故郷        高野辰之/佐藤弘和編
(Poranと記載した曲は私のソロ、それ以外はyayoyayoさんによるソロ)

<yayoyayoさんとPoranのギター二重奏 9月8日13:25>

プログラムに沿って、yayoyayoさんとPoranの二重奏でスタートして2曲演奏し、そのあと私のソロでF.タレガ作曲「ラグリマ」と映画音楽2曲演奏しました。

<Poranのソロ演奏 2017年9月8日13:35>

あとはyayoyayoさんのソロが続き、後半の演歌の部分に入ったところで、私が古賀政男の「悲しい酒」1曲を演奏しました。

<yayoyayoさんのソロ演奏 2017年9月8日14:08>

ソロの部での4曲目、「浜辺の歌」以降は日本の歌となり、yayoyayoさんが用意してくれた歌集を配布して、ご来場の皆様に歌っていただきました。


<演奏中の「どっこいしょ喫茶」のお客様 9月8日13:53>

演奏会は約1時間でした。
料金100円で手作りおはぎ(餡ときなこ)、漬物&お茶が出て、皆さま美味しそうに食べながら、演奏を聴いていただき、また、一緒に歌っていただきました。雰囲気としてはそれなりに楽しんでいただけたように感じられました。
こちらが予想していた以上の、25名ほどのお客様が来てくださり、あまり広くない会場はほぼ満席状態。

自分としては、ギター愛好者ではない一般の人たち向けに弾くことはあまりないので、いつもとは違う刺激をいただき、こういう演奏も意外と楽しかったというのが実感です。
今回のボランティア演奏会を一人で企画し、準備してくださったyayoyayoさんに感謝です。また、yayoyayoさんはソロでも私の2倍の曲数を演奏され、これは相当なエネルギーと集中力が必要で、たいしたものだと思います。

2017年9月9日土曜日

フードドライヤー(食品乾燥機)

私の33坪の畑では、基本的に夫婦二人で食べるだけなので、いろいろな、30種類近い野菜を少量ずつ育てています。それでも収穫の時期になると食べきれないくらい採れてしまいます。どのように保存するかをいつも工夫しています。

<フードドライヤー(食品乾燥機) FD880E 2017年8月>

先日、私の畑仲間からフードドライヤー(食品乾燥機)を使うと便利だという話を聞きました。そこでAmazonで調べて、先月、ウミダスジャパン社製のフードドライヤー FD880Eを購入しました。
早速使ってみましたが、確かにこれは便利。大概のものがドライフードになってしまいます。既にいろいろなものをドライにしましたが、その内の三つを下に記載します。

(1)ドライ大根
         <私の畑の大根3本 2017年8月18日>

大根は今年は3本ずつ、約10日おきに種蒔きし、育てています。それでも、3本一度に採れると食べきれなくなります。そこで、まず最初にドライにしたのが大根です。

 <大根を輪切りにして、トレイに並べる 2017年8月16日09:35>

大根1本半分を皮をむいて輪切りにし、トレイに並べます。このフードドライヤーは4つのトレイが付いていますので一度に最大4段で乾燥されられます。

 <58度に温度設定し乾燥開始 2017年8月16日09:37>

温度は38度、48度、58度、68度の4種類の設定ができます。大根は58度に設定し、乾燥開始しました。
下から温風が吹き上げられますので、下のトレイの大根の方がどうしても乾燥が早くなります。そこで、3~4時間ごとにトレイの位置を上下交換します。

 <ドライ大根の出来上がり 2017年8月16日20:17>

合計約10時間乾燥させました。出来上がったドライ大根はジップロック小(16×14cm)に入れて、冷蔵庫で保存しました。1本半の大根がこんなに小さくなってしまうのですから、冷蔵庫の場所を取らなくて便利です。

<ジップロック小に入れたドライ大根 8月16日20:23>

ドライ大根はこれから家内が適宜料理に使ってくれる予定です。

(2)ドライバナナ
野菜ではありませんが、気に入っているのがドライバナナです。


<輪切りにしてトレイに並べたバナナ 2017年8月26日11:54>

バナナ9本を皮をむいて輪切りにし、トレイに並べました。

 <バナナの乾燥を開始 2017年8月26日11:55>

68度で温度設定し、合計12時間乾燥させました。これでもまだセミドライです。

     <出来上がったドライバナナ 2017年8月27日09:16>

一般に店で売っているドライバナナは油で揚げたり、砂糖を添加するしたりしているようです。自家製の無添加ドライバナナは甘みと旨みがそのまま凝縮され、売っているものとは別物の美味しさで、クセになりそうです。パリパリにドライにするよりも、セミドライの方が我が家の好みです。

(3)ドライトマト
ミニトマトも今私の畑では食べきれないくらい採れています。


 <収穫したミニトマトのイエローとバイオレット、そして中玉赤 9月4日>

ミニトマトのイエローとバイオレット、それに中玉赤の3種類のトマトを一緒にドライにしました。

 <トレイに並べたミニトマト 2017年9月4日09:55>

半分に切って、トレイ4段に並べました。

 <ミニトマトを乾燥中 2017年9月4日10:10>

温度は68度に設定して、合計10時間半乾燥させました。

     <出来上がったドライトマト 2017年9月4日22:43>

セミドライですが、そのまま食べても十分美味しいです。出来上がったドライトマトは家内が少しずつ料理に使ってくれています。

野菜にしても果物にしても、ドライにするとその旨みが凝縮されて、概して美味しくなると思われます。これからもいろいろなものを試してみるつもりです。

2017年9月7日木曜日

「傍/katawara」でディナー

9月3日(日)は家内と二人で、茅野市泉野の「傍/katawara」に夕食を食べに行きました。「傍」にはランチは何回か食べに行きましたが、夕食を食べに行ったのは初めてです。
この店はランチは予約不可ですが、夕食は逆に予約のみの、土・日曜日営業です。

<夕暮れ時の「傍/katawara」外観 2017年9月3日18:25>

傍/katawara」では、標高1,100mの自分の畑で無農薬・化学肥料不使用で野菜を自ら育て、それを素材として料理を作り、「農家食堂」とうたっています。ランチは蕎麦が中心ですので、範疇としては「蕎麦店」に入るのでしょう。

予約のみ受け付けでもこの晩は満席でした。人気店であることが窺えます。

<スパークリングワインとトマトビネガースパークリング 9月3日18:41>

ドリンクとして私はワイン「スパークリング濁りナイアガラハーフ」を、家内はソフトドリンク「傍のトマトビネガースパークリング」を注文しました。「傍のトマトビネガースパークリング」はトニックに自家製トマトピクルスが入っており、私もちょっと味見しましたが、やや辛口で、飲み口は良かったです。

<傍のアラカルト食事メニュー 2017年9月3日

夕食はコースメニューはなく、「tonight's menu」の中からアラカルトで注文します。
いろいろなものを食べてみたいので、我々は一品ずつ注文し、二人でシェアーしました。
食べたものは次の通りです。

 <エビのプチ茶碗蒸し>

ここは自家製野菜を使ったメニューが多く、それが特徴でもありますが、我が家も自分で野菜を作っていて、今はイヤと言うくらい毎日野菜を食べています。それで、野菜以外の料理を中心に食べました。

 <信州牛の串揚げ>

 <ジューシーチキン&たっぷりグリル野菜>

 <焼きつくね w/ スパイシーKWENソース>

 <とり天 w/ 夏野菜のスパイシーサルサ>

ここは本来蕎麦店でランチでは蕎麦が人気の店なので、最後に蕎麦を食べるつもりでいました。しかし、ここまで食べたらお腹がいっぱいになってしまいました。それで、二人ともコーヒーをいただいてフィニッシュとしました。

<ホットコーヒー>

アラカルト料理はどれも美味しく、ここはやっぱり味のセンスが良いなと思いました。
この店は今月5日で開店3周年だそうです。
観光地周辺でよくある「リゾート価格」ではなく、値段はどちらかと言えば庶民的で、ちょっとお洒落な雰囲、そしてこの味であれば、開店3年にして人気が定着してきていることも頷けます。

2017年9月4日月曜日

第37回「クラシックギター弾き回し練習会」のご案内


第37回「クラシックギター弾き回し練習会」を11月11日(土)に開催しますので、ご案内します。次回は、去年11月の第32回目と同じく、上田市のカフェ&スペインバル「アランフェス」で行います。

詳細は「クラシックギター弾き回し練習会のブログ」に記載してありますので、ご参照ください。→https://hikimawashi.blogspot.jp/2017/09/blog-post.html



2017年9月2日土曜日

ばね指(腱鞘炎)の手術無事成功

7月28日(金)に左手中指のばね指(腱鞘炎)の手術をし、無事快復中です。
以下はその自分自身の記録です。

<左手中指のロッキング状態(ばね指) 2017年7月27日>

私の左手中指にばね指(ロッキング)の症状が出たのは4月に1ヶ月近くの間オーストラリアを旅行していた時のことです。夜寝ている間に上の写真のように左手中指が折れ曲がって固まってしまう症状(ロッキング)が頻繁に出るようになりました。

4月末に帰国後、ギターの練習を再開しましたが、ロッキング症状は昼間も時々出るようになり、更に左手中指の付け根の辺りに痛みが出てくるようになりました。
ロッキング症状と共に、左手中指のみを伸ばそうとしても、少し曲がったままで真っすぐにならなくなっています(下の写真)。

<まっすぐ伸びない左手中指 2017年7月27日・手術前日>

私の長野県のギター仲間のМさんに相談したところ、須坂市の湯本整形外科の事を教えてくれました。Mさんは両手の指10本の内、8本をばね指で既に手術しているという強者(?)です。最初の2本は近所の整形外科医で普通の手術法で手術してもらい、3本目以降は湯本整形外科で手術してもらったそうです。通常の方法で手術した最初の2本は2cmほど切開したため、切開痕が今でもはっきり残っています。3本目以降の湯本整形外科で手術してもらった指は独自の手術法のため、見ても切開痕が分かりません。

<湯本整形外科医院 2017年6月23日撮影>

その後、ギターの練習時間を減らしながら様子を見ていましたが、ばね指の症状は悪化する一方です。
他のギター仲間でばね指を手術した人に聞いても、「ばね指は手術すれば治るよ。悩んでいても治らないよ。」と言われます。

そこで意を決して、6月23日(金)に須坂市の湯本整形外科を訪ね、診察してもらいました。我が家から湯本整形外科までは車で高速道路を使わずに、山を二つ越えて約2時間20分です。その結果、手術してもらうことになりました。
一番近い手術予定の空いている日ということで、手術日は7月28日(金)に決まりました。湯本先生は「2mm切開ばね指手術」という、自身の開発した独自の優れた技術を持っており、全国、遠方からも手術を受けに訪ねてくるようです。

<手術直前の左手 ~切開場所に丸印 2017年7月28日14:41>

7月28日は午後に手術が行われました。まず、手のひらの切開するする場所にマジックで小さな丸を書いて、X線撮影を行い、その箇所にテープを貼りました(上の写真)。
手術は手のひらに局所麻酔薬を注射した後、2mmの大きさで皮膚切開して、エコー装置で場所を確認し、これも独自に湯本先生が開発した特殊な細い用具で1回で腱鞘が切開されました。手術作業は全部で30分もかかりませんでした。

手術について詳しく知りたい方は湯本整形外科のホームページの中の次の動画をご参照ください。私の手術もこの動画と全く同じです。
→ 「症例4.女性54才、左中指ばね指 #1447」 

<手術後に軟膏付きガーゼを当てて包帯固定した左手 2017年7月28日>

手術翌日から早速、運動療法を始めました。手術後も指の第2関節(PIP関節)が曲がって平らに伸びないままになっているためです。これは指には屈筋腱が2本あり、この2本の癒着が術前・術後にわたって続くためだそうです。

<運動療法~まず温湯に約10分間手を浸けます 7月29日>

ガーゼと包帯を取った後、お湯に手を約10分間浸けてから、指の関節を伸ばしたり、曲げたりします。運動療法により術後の機能の回復が早まるとのことです。

<運動療法~第2関節と第3関節を伸ばしたり、曲げたりします 7月29日>

手術翌日の手を見ると、マジックで書いた小さな丸印は残っていますが、その中の切開痕はよく見ると分かる程度です。

<手術翌日の包帯を取った左手 2017年7月29日15:53>

翌日から楽器の演奏を再開しても差し支えないとの事でしたので、早速ギターを弾いてみました。F.タレガ作曲「ラグリマ」を弾いてみましたが、一応支障なく弾くことができました。
手を切開手術して、翌日にはギターを弾けてしまうのですから、すごい手術の技術だと私には思えました。

<手術翌日にギターを弾く 2017年7月29日16:37>

左手中指の関節を伸ばしたり曲げたりする運動療法はその後もほぼ毎日続けました。

手術1ヶ月後に病院に電話してくださいと言われていたので、8月30日に病院に電話し、湯本先生に1ヶ月経過後の状況を説明しました。ギター演奏にも日常生活にももう支障はありませんが、左手中指第2関節のこわ張りはまだ若干残っていて、完全に真っすぐには伸びません。湯本先生によると、この関節のこわ張りの解消期間としては3週間で消える人もいるし、6か月かかる人もいて、個人差が大きいとの事です。私の快復経過状況は特に問題はなく、OKとのお話でした。

<手術1か月経過後の左手 2017年8月28日>

上の写真は手術1ヶ月経過後の私の左手の写真ですが、手術の切開痕は注意してみてももう殆ど分かりません。
今は安心してギターの練習ができるようになりました。私にとってはとても有り難い手術でした。

(追記: 遠方からの人がばね指の手術を受けたい場合には、まず湯本整形外科に電話し、湯本先生に症状などを説明し、相談して、手術が必要だということになれば、手術日の予約を取ります。予約の日時に病院を訪問し、手術自体は30分もあれば済みます。後は、自宅で翌日から運動療法(指のリハビリ)をします。1ヶ月経過後に病院に電話し、湯本先生に経過状況を説明し、特に問題ないとなれば、それで全て終了です。1回の病院訪問で治療は済みます。)